気まぐれ日記 09年11月

09年10月はここ

11月1日(日)「本格的な能を鑑賞・・・の風さん」
 連載原稿執筆は、結局、徹夜になってしまった。
 送信を完了したのが、午前7時である。
 それから入浴して(要は朝風呂ですな)、ちょっとだけ寝ようと午前8時にベッドにもぐり込んだ。
 セットした目覚ましの10時に起床。
 文庫の初校ゲラの校正をしなければいけないのだが、今日はこれから用事がある。
 ワイフと電車で名古屋へ。
 睡眠不足の割に元気だ。
 名駅のデパートでの買い物に付き合い、軽く昼食を摂ってから、名古屋能楽堂へ地下鉄で向かった。
 第30回記念「名古屋金春(こんぱる)会特別公演」を鑑賞するのである。幸運にも、特等席の割安チケットを入手することができたので、生まれて初めて本格的なお能を観ることができる。楽しみである。
 地下鉄の駅から地上に出たら、雨が降っていた。朝刊の予報通りだった。しかし、傘はワイフの折りたたみ1本しかないため、近くのコンビニでジャンプ傘を買った。
 今回の楽しみはまだある。1年交代の能舞台鏡板の絵が、杉本健吉画伯の「若松」なのである。拙著『和算忠臣蔵』の表紙絵として使わせてもらった思い出深い絵である。
 それに、今年の地元での講演会でも、この鏡板のことを宣伝してあった。まさか自分自身が「若松」をバックにした能を鑑賞できるとは、そのときは夢にも思わなかった。
 私の席は「あ10番」で、能舞台正面階段の前、最前列だった。
 今日の演目は、能が「橋弁慶」「百万」「乱(みだれ)」、狂言が「竹生島参(ちくぶしままいり)」である。
 午後2時から6時近くまで、たっぷり楽しむことができた。伝統芸能であり、迫力があったので、聴く側も緊張していて、睡眠時間2時間でも、居眠りをしているヒマはなかった。
 帰りの電車でようやく安心して居眠りできた。
 夕食後、やっとゲラ校正に着手した。

11月2日(月)「変化の多い1日・・・の風さん」
 昨夜も就寝時刻が少し遅くなってしまった。が、必死に起きた。やることは山のようにある。
 先ず、何と言っても、投稿論文である。手伝ってもらっている同僚と、数理計画法に基づく計算結果の検証をした。
 その間にも、種々雑多なことが私の周囲で渦を巻いた。
 ドイツで借りたレンタカーで、発生しないはずの「乗り捨て料金」を請求された件について、ようやく結論が出た。やはり先方のミスで、支払った料金はバックされることになった。たいした金額ではないが、いちおう満足した。
 しかし、契約上のこととはいえ、「満タン手数料」は法外だった。これは気に入らない。次は注意しよう。
 自宅へ来ているメールを昼休みにケータイでチェックしたら、ビックリすることがあった。
 焦っている投稿論文の締め切りが、今週末ではなく、2週間近く先であることが判明したのだ。やれやれ、である。
 また、募集開始はまだ先と思っていた日本機械学会「生産システム部門」講演会の締め切りが、2度の延長で、来週明けになっていることを、今日初めて知った。これはぜひとも発表しなければ。
 帰りにエクスパック500を購入した。
 夕食後、初校ゲラの校正を必死にやって、就寝は午前2時半になってしまった。

11月3日(火)「ちびゴキと心不全の関係・・・の風さん」
 未明に寒くて目が覚めた。ガタガタ震えて苦しかった。以前にもあった恐怖である。父が心不全で死んだ時の苦しさは、きっとこんな感じではなかったか、と思う。しかし、心不全で死ねたら、家族への迷惑も最小で済み、きれいな死に方だと思う。
 珍しくワイフが「大丈夫?」と心配してくれた。それに反応できるということは、大丈夫ということだ。
 出社途中で、初校ゲラを入れたエクスパック500を投函した。
 徹夜でやればもっとできたかもしれないが、会社で爆睡しているわけにいかないので、ほどほどで切り上げたのだ。
 今日もコンピュータ計算結果について同僚と議論した。
 少し早めに退社した。
 ケーキとマカダミアナッツとスパークリングワインを買って帰った。
 今日はワイフのバースデーである。
 あらためてその記念日の朝に心不全で死なないでよかったと思った。
 愛媛県の先生から愛媛みかんが届いた。ワイフへのバースデープレゼントではない。
 先週からりんご「陽光」、柿そして愛媛みかん、という具合に秋の味覚が手に入る。この幸せを満喫しないうちに心不全で死んではいけない。
 書斎でメール処理がたくさんあって、やっと階下へ降りようとしたら、2階の洗面所に動く黒い物体、発見!
 ちびゴキだった。こんな寒い夜に、どこから出てきたのだろう?
 階下から持って来たゴキジェットで、シュパッ! 
 今日は、私が心不全で死ぬ代わりに、ちびゴキが逝った。 

11月4日(水)「コンピュータ計算でてこずる風さんの巻」
 夕べはどうしても読書をしたくて、就寝は午前1時になってしまった。
 二日続けて凍死寸前になってはいけないので、早くも電気敷き毛布のスイッチを入れた。
 そのせいか、今朝は無事に起床できた。
 今日こそは会社の仕事をたくさんやろうと意気込んだが、コンピュータ計算で希望する数値がなかなか出ないうちに夕方になってしまった。
 期間従業員の正社員登用面接試験の指導をして、午後7時に退社した。
 ガソリンスタンドでセルフ給油して帰宅した。
 初校ゲラは無事に出版社に届いたそうだ。
 今夜も種々雑多な用事がたんとあって、それらを片付けないと、重たい仕事に専念できない。

11月5日(木)「胃が痛む話・・・の風さん」
 昨夜用意した郵便物を2つ出勤途中で投函した。少しでも仕事を片付けていかないと、精神的におかしくなってしまう。
 出社して先ずラジオ体操。体は硬いが千里も道も1歩から、だ。なんのこっちゃ。
 今日こそは先週の出張報告を書かねば、と思いつつ、1日が始まった。
 昼前に診療所から電話がかかってきた。
 「診察でお呼びしているのですけど、来れませんか」
 と言う。何のことか最初はよく分からなかったが、先月のバリウム検査の結果、2次検査が必要ということになったのだそうだ。つまり胃カメラ。ぎょぎょ。
 「定期健康診断の結果通知の中に書いてあったのですけど……」
 確かに書いてあった。たくさん書かれた中にあって、全く気が付かなかった。老化現象の一つである。
 急いで診療所に行くと、早速、医師の診察。
 しかし、ドクターはご機嫌ななめらしく、「紹介状書きますから、2次検査に行ってください」とだけ、ぴしゃり。
 「どんな感じですか」と念のため聞くと、
 「上の方にポリープ、下の方に腫瘍らしきものがあります」と冷徹に言い放つ。
 「にぎやかですね」
 私は負け惜しみを言って診察室を出た。
 「どこの病院にします?」「いつ行けますか?」と看護婦は執拗に聞いてきた。
 結局、看護婦の執念に負けた。
 看護婦はすぐさま、私が言う病院へファックスで予約申し込みをした。
 昼過ぎまでに、ようやくコンピュータを使った計算結果に一段落をつけることができた。やれやれ。
 その頃、診療所から電話がかかってきて、希望の日にちで予約できたと言う。
 看護婦の真剣さに、もしかするとヤバイかも、と思った。急に胃のあたりがしくしく傷む気がする。
 とは言え、夕方までに出張報告もできた。
 しかし、もう論文原稿に手をつけるだけの気力も時間も残っていなかった。
 気分転換の意味もこめて、行きつけの床屋へ寄ってから帰ることにした。
 マスターから雲の上のような話を聞いた。
 注文した新車の納入を待っているそうだが、前に乗っていたベンツを下取りに出して、その下取り価格で、BMWのZ4ロードスターを購入したのだと言う!
 私のミッシェルもロードスターだ。走行距離は142000kmを超えている。
 またお腹のあたりが痛くなってきたような……。

11月6日(金)「投稿原稿ができない風さんの巻」
 出社前にアイデアが湧いた。日曜日に正社員登用試験を受ける期間従業員のために、これまで口で喋っただけのアドバイスをきちんと文章にしておくことだ。
 朝のラジオ体操が気持ち良かった。
 早速文章作成に着手したが、途中で色々な用事も発生したので、なかなか完成しなかった。それでも、職場の同僚からも助言が得られて、作成した文章は、夕方までにそれなりの内容になった。
 夕方から直接その文章を使って本人に解説した。どうやら理解してくれたようだ。あとは本人がそれを本番でどう生かすか、だ。
 また、今日は陶芸家の知人が来てくれて、文庫『円周率を計算した男』を3冊も購入してくれた。もう書店の棚には見当たらないらしい。これが現実なのだろう。
 帰りにミッシェルに給油して帰宅した。
 今夜は、東京の品川で、大学の学科の同窓会がおこなわれている。卒業して早32年である。それなのに、私はまだ大学院生をやっている(笑)。
 明日は愛工大八草キャンパスで日本経営工学会秋季大会がある。

11月7日(土)「最高の行楽日和だったが・・・の風さん」
 必死に早起きして、自宅を出た。
 昨夜は再校ゲラのチェックに専念したが、短時間で一気に終わる作業ではない。今回も、文庫ということで、ルビをじゃんじゃん追加している。さらに章が変わるごとにリセットして、難読漢字と思われるものにルビを振っているので、なかなか膨大な仕事量である。
 愛工大の八草キャンパスで日本経営工学会秋季大会があるので、初めて公共交通機関で行く。名鉄、地下鉄、リニモを乗り継いで、最後は大学のシャトルバスに乗って会場にたどり着いた。片道2時間半ほどかかった。横浜あたりに出張するのと同じくらいの遠さを感じた。
 それにしても空は秋晴れで、最高の行楽日和である。
 会社の同僚の発表を聴講した。不景気と新型インフルの影響か、参加者が少ないような感じがした。
 会場内は無線LANが使えるということで、持って行ったアプリルでアクセスを試みたが、結局うまくいかなかった。これまで自宅外の無線LANで失敗したことがなかったのだが……。
 寝不足で頭痛がするのと(家を出るときいちおう鎮痛剤は飲んできたがあまり効かない)、仕事が山積しているので、午後から帰ることにした。秋季大会が遠隔地でなかったことが幸いした。
 学内のマックでハンバーガーとコーヒーを買い(410円)、来たときと逆のルートで家路についた。帰宅してから、ハンバーガーをリニモの中で食べたと報告したら、家族から非難轟々だった。いいじゃん、学生なんだから……って許されないか(^_^;)。

11月8日(日)「超豪華フランス料理の店の巻」
 昨夜も最高ゲラのチェックで青息吐息だった。とても大学への投稿論文まで手が回らなかったので、今日の学会参加は中止することにした。起きて、階下へ降りてワイフにその旨報告すると「よく気が変わる人ね」と不審の目で見られた。私がとっても柔軟な頭脳の持ち主だとは認めてくれないのだ(え? だめ? やはり言い訳に聞こえる?)。
 昨夜までで終了した再校ゲラを、ワイフに頼んで投函してもらった。全体の3分の1は月曜日に返却できることになる。
 夕方までわき目も振らず、投稿論文の執筆に専念した。ゲラチェックの後、研究論文を書いているのだから、ちょっと他人は驚くかもしれないが、内容が違うだけで、私にとっては自己表現という点ですべて同じだ。
 しかし、老化した頭脳に長時間連続の集中作業はつらい。
 今夜は長女が私たち夫婦それぞれの誕生祝いということで、素敵なレストランで食事をおごってくれることになっていた。
 多忙なワイフより1本早い電車で名古屋へ出かけた。
 先に長女の誕生日プレゼントを買ってあげた。うちは長男以外、10月と11月の正味1ヶ月の間に誕生日が集中しているので、ギブアンドテークになってしまう。
 長女に連れて行ってもらったのはフランス料理のレストランで、すごい場所だった。若い頃フランスで修行し、日本の某有名レストランのシェフをしていたが、大人気で自信を持ったというシェフの経営するレストランなのだ。たしかに超の字がたくさんつきそうな豪華な雰囲気と料理の店で、よほどこういう店に慣れているか、人生経験が長くて図々しくなっている人間(私か(^_^;))でないと、食べ物が喉を通らないだろう。
 あらゆる料理もワインも極上だった。

11月9日(月)「「来年の布石もしっかり・・・の風さん」
 来年の3月に日本機械学会生産システム部門の研究発表講演会がある。そこでも発表しておかないと心残りになるので、応募締め切りの今日、会社からメールで申込書を送付した。
 午後はずーっと会議の連続で、疲れた。ゆっくり休養できる時間がとれない風さんなので、いつも突然疲労感に襲われる。
 帰宅して、再び再校ゲラのチェックに取り掛かった。水曜日の朝に投函するので、今夜と明日しかやれる時間がない。
 わき目も振らず取り組んだ。
 午前3時近くまでやったが、進捗ははかばかしくなかった。やっと全体の6分の1ができたので、昨日投函した分と合わせて、半分ができたことになる。明日の夜だけで残り半分ができるかって? 常識的には「否」である。
 ベッドに倒れ込んだ。

11月10日(火)「次女の上京の成果は・・・の風さん」
 次女を東京へ送り出した。表紙絵の打ち合わせをさせるためである。先方のデザイナーも最近決まったばかりで、連携が不十分だ。経験の全くない次女にとってなかなかの試練になっている。
 昨夜スケジュールを決め、エクスプレス予約して、私のカードを持たせた。それから、ついでなので、昨夜できた6分の1の再校ゲラも持って行ってもらった。
 今日は終日仕事に追われた。睡眠時間が4時間程度だったので、当然眠い。眠らないためには現場を歩くのがベストなので、気になっていた工程を見学してきた(何が目的がよくわかんねぇー)。
 少し早めに退社した。
 次女は、私よりも遅く帰って来た。打ち合わせの成果は芳しくなかったようだが、勉強にはなったようだ。
 しかし、勉強で終わっただけではいけない。来月早々に文庫は発売になるのだ。表紙のない本はない。
 次女が預かってきた表紙絵の案が5つあったが、どれもこれも冴えないものだった。
 そういうことがあっても再校ゲラのチェック作業はやらなければならない。
 夕食もそこそこに書斎へ直行した。
 
11月11日(水)「ゲラの締め切りは守ったぞ・・・の風さん」
 昨夜は日付変更線を過ぎる前後にぶっ倒れて、目が覚めたら午前3時半だった。
 それでも、(意外と早く復活したな)と内心ほくそえんだくらいで、再びゲラのチェック・修正に取り掛かった。
 文庫ということで、ひたすらルビ(振り仮名)を増やすのが基本作業である。こうなると実は著者も読めないまま原稿化していた単語が出てくるので冷や汗が出る。出版社の編集者も丁寧に読んで、疑問点を指摘してくれているので、もともと振り仮名がふってあるからと油断できない(笑)。
 そこで、人名辞典や地名辞典のお世話になるのだが、亡くなられた野村敏雄先生が形見分けの意味で送ってくださった辞典が大活躍する。あらためて野村先生の偉大さを実感する。
 午前6時頃に、書斎のドアが静かに開いた。
 「おっはよー」
 と言ったのは私である。
 ドアの向こうで鳩が豆鉄砲食らった顔をしているのはワイフである。
 膨大な修正量を見込んで、昨夜からパソコンデータの修正をするのはやめている。それまでやっていると、出版社へ送ること自体が遅れてしまう。
 結局、1冊分(300ページ以上あったので)のゲラをチェック・修正し、エクスパック500に詰めて郵便局で投函した。エクスパック500は少々高いが、速達扱いなので、宅配と同様に翌日届く。
 会社では眠くてしようがなかったが、今日も現場回りをすることで、自席で沈没するのを防止した(笑)。
 帰宅したが、もちろん睡眠不足で、今夜は仕事は困難。
 夕食後、ワイフと安野光雅さんの絵本を見ながら「ドイツと風景が似ているねえ」と話した後、書斎へ籠もり、しばらく手を抜いていたメールチェックや郵便物の手配などをした……が、就寝は午前1時になってしまった。

11月12日(木)「論文を書きながらあれこれ・・・の風さん」
 出勤途中でエクスパック500を投函した。注文を受けた拙著とおまけをたくさん入れてある。
 ゲラを出したら次は投稿論文である。日曜日に大学院の中間報告会があるので、その準備もしなければいけないが、頭を整理するためにも論文を書くことは意味がある。
 しかし、たまっている雑務を少しは処理しておかないと精神的にまいる。
 今夜も帰宅して手紙を1通書いた。けっこうな分量になってしまったが、封筒の封をした段階でホッとした。
 無理がたたってなかなか精神集中がはかれない。

11月13日(金)「父と娘の日・・・の風さん」
 今日は13日の金曜日だが大安である(なんのこっちゃ)。
 今朝も通勤途中で昨夜用意した郵便物を投函した。読者からの問い合わせに回答したもので、返事は1ヶ月くらい遅れたが、こういった涙ぐましい努力も、売れない作家はしなければならないのである。
 会社ではとても忙しかった。
 そんな夕方、机の上のケータイがぶるぶる震えた。心霊現象ではない(笑)。しかし、珍しいことである。
 開いてみると出版社からだった。
 廊下に出てから応答してみると、いきなり朗報が耳に響いた。
 「お嬢さんの絵の採用が決定しました」
 「え? 本当ですか?」
 今週わざわざ上京させて、打ち合わせまでしてきてもらったが、見込みは厳しい状況だった。
 それが一転して採用になったのは、代替案にはない、本物の油彩画という絵の力だったと思う。
 次女には既にメールで伝えたとのことだったので、早速ワイフへ報告した。
 「お祝いにケーキでも買ってきたら?」
 定時後、やや迂回してケーキショップに寄ることになった。
 帰宅したら、二代目福田理軒、小寺裕先生の新刊が送られてきていた。『和算書「算法少女」を読む』(ちくま学芸文庫)である。
 遠藤寛子さんのエッセイと土倉保先生の解説がついている。知り合いの先生が顔を揃えているのもうれしい。
 ともかく、これは明らかにちくま学芸文庫から復刊された、遠藤寛子さんの『算法少女』の読者に訴求した本で、サブタイトルが興味深い。
 <娘あきはどんな問題に挑戦していたのだろう>
 『算法少女』を読んだ人でないと分からない(^_^)。
 和算書『算法少女』は安永四年(1775)に出た本当の本である。著者は壷中隠者となっているが、千葉桃三という大坂に住んでいた医者である。「季女平氏輯」とあるのは末娘の章子が編集を手伝ったという意味ではないか。算術に没頭している末娘を父親の桃三が可愛いと思って、その名前を書いたと想像される。
 夕食前にワイフにBS2をつけてもらった。今夜は女子バスケットボールのWリーグ「富士通対JOMO」の試合が実況中継されるのだ。
 数日前に中学時代の同級生からメールがあって、この試合を見ようと決めた。同級生のお嬢さんが出場するからだ。お嬢さんは富士通のガードで新人、背番号は21である。
 さすが一流チーム同士の試合だけあって、走るのもパス回しもすごいスピードだ。驚くべき運動量である。
 残念ながら、JOMOの同じ背番号21の新人が、体がでかい上に目立っていて、富士通の21番の活躍が見えなかった。
 試合もJOMOに負けた。
 次女が帰宅したので、私が買ってきたケーキで、家族4人、ささやかなお祝いをした。

11月14日(土)「前日から始めるたわけ者・・・の風さん」
 昨夜は投稿論文を仕上げようと必死になったが、あっという間に体力の限界に達してしまい、午前3時ごろ書斎でダウンした。
 それだけならよくあるパターンだが、未明、寒くて目が覚めた。例の「寒い寒い病」が襲ってきたのである。
 体が震えて止まらない。体の芯から冷え切ったしまったようだ。
 (そのうち死ぬな)
 と思いつつ、今日はまだ死ぬわけにいかない、と理性が働いて(?)、書斎を出、階段を踏み外さないように慎重に降りて、風呂場へ。いきなり浴槽へ体を沈めたが、なかなか温まらなかった。
 ま、とにかく命拾いした朝だった。
 いくら何でも大学院の中間報告会の前日なので、スライド作成に着手しなければならない。前日からスタートしているたわけた大学院生は私くらいだろう。
 何となく頭はスッキリしないが、始めた。何度も乗り切ってきたピンチだ。きっと乗り切れるだろう。その信念だけが、私を駆り立てた。
 ……ではあるが、夕方、また書斎でダウンした。
 窓の外が真っ暗になったころ、また起き出して続きをやった。
 そうして、夜はどんどん更けていった。

11月15日(日)「怒涛の中間報告会・・・の風さん」
 夜が明けてからは机の横の時計とにらめっこしながらの作業となった。
 中間報告会は午前9時半から始まるが、自分の番は午後2時25分である。配布資料の準備は大学でやることになるので、その時間も考慮すると、最も遅い出発は午前11時前後となる。
 こういうのを「カンテツ(完全徹夜)」と言うのだろう。昨夜からもうダウンすらしている余裕はなくなっている。
 こう書いていると、さぞかし集中してテキパキとスライドの準備をしているんだろうなあ、と思われるムキもおられるかもしれない。
 ところがどっこい、老化現象が進んでボケも出ている風さんは、きっと「ああでもない、こうでもない」と同じところをぐるぐる回りながら、3歩前進2歩後退、2歩前進3歩後退を繰り返して(あ、このままじゃ前へ進まない)いるから、はたから見たら、同情の涙を禁じえないほど非効率に作業しているに違いない。
 発表時間は30分で、質疑応答に10分が予定されている。
 何しろ学位論文の中間報告なので、全貌を説明する必要がある。とうとう発表スライドは50枚になってしまった。
 急いで、配布用資料を「先生用」と「学生用」の2バージョンこしらえて印刷した。これをマスター原稿にして、合計20部コピーして配布しなければならない。
 準備ができて階下へ降りたとき、予定していた電車の発車時刻まで5分しか残っていなかった。
 「だめだ。次の電車で行くことにする」
 「クルマで送れば、まだ間に合うわ」
 ワイフが珍しく私にハッパをかけると、クルマのキーを握って外へ出た。
 私はその後を追うように玄関へ向かったが、しっかり子供用のパンを台所からくすねるのを忘れなかった。
 往復の電車が睡眠補充時間となった。
 発表は時間オーバーしたが、何とか無事に終えることができた。
 早めに着いて良かった。配布資料を用意するのが大変だったからだ。
 夜は、文庫のゲラの最終チェックをおこない、出版社へ連絡事項をメールした。
 先ずは、中間報告会が終わったのだ。

11月16日(月)「ゲラ修正が終了して・・・の風さん」
 会社の昼休みにケータイでメールチェックすると、文庫のゲラ修正も最終ゴールに到達したことが判明した。
 文庫に関しては出版時期前後にまだ色々な用事があるが、先ずは、これも一段落したと言える。やれやれ。
 こうなったら、次は投稿論文である。遅れを挽回するためには、光の速度で作業しなければならない(嘘)。
 会社の同僚が横から「何でもお手伝いしますよ」とささやいてくれるが、自分の仕事が遅れているだけなので、どうしようもない。
 「ありがとう」
 そう応える私の目にはきっと見えない涙がにじんでいたことだろう。
 次々に会議があったが、なるべく体力を使わないように心がけた(精神的に落ち着いていれば疲れないのだ、こういうことは)。
 定時になって、早々と帰り支度を始めた。
 帰りにミッシェルに給油し、真っ暗な中帰宅した(最近は日が短い)。
 大型電器店からダイレクトメールが入っていた。
 世間の波をもろに食っているワイフは、「地デジ」「エコポイント」「液晶テレビ」……といった言葉に翻弄されている。
 「そろそろテレビを買い替えようか」
 春に出した文庫の印税がそろそろ入る時期なので、私も、こんなセリフを吐いてワイフを安心させなくてはいけない。
 「え? 本当?」
 早速、サイドボードのテレビを収納する部分のサイズを測定したら、最大で40Vのテレビしか入らないことが判明した。
 夕食後、午前零時過ぎまで論文執筆に専念したが、最後までいかなかった。これでは大野先生におうかがいをたてるためのメール送信はできない。明日こそ。
 
11月17日(火)「サイバー空間の奇妙な出来事・・・の風さん」
 このところ冷え込む日が続く。
 投稿論文でも焦っているが、前橋市での講演まで1週間を残すだけになってしまった。いくらギリギリが好きとは言え、こう連続的にギリギリをやっていると、そろそろ破綻するのではないか、と心配になる。
 その前橋市での講演だが、依頼者の先生からメールが届かない。講演が予定通り開催されるのかまで不安になってきたので、念のためネットでキーワード検索をしてみたら、何も出てこない! それで、とうとう今日、昼休みに先生の研究室へ電話してみた。
 「問い合わせのメールが来るから変だとは思っていたのですよ」
 応答一番の先生のお言葉である。
 8月に長崎でお会いしたときも、メールが届いていないことが不思議だという話があったが、それが今も続いていたわけだ。
 詳細を教えてもらい、私からは、別のサーバーを使用するアドレスを連絡することにした。
 帰宅してメールチェックしてみると、ちゃんと届いていた。
 メインのアドレスは転送機能も「ON」にしてリスクマネジメントしていたが、サーバーの異なるダブル・アドレスも必要な気がした。
 投稿論文の本文の部分がだいたいできたので、大野先生へ送って、今夜は午前1時終了。随分と早いな(笑)。

11月18日(水)「投稿論文がやっとできた・・・の風さん」
 本社へ直行した。駐車場から外を歩くと、寒さが直接感じられる。
 製作所へ移動する間に、ちょっと銀行に寄った。届出印としてどれを使っているのか分からなくなってしまったので、念のため確認したのである。持参した3つの中に正解があってよかった。
 「新しいのとお取り替えしましょう」
 あまりに古い通帳ケース、カードケースを使用していたので、窓口の女性が新品をくれた。
 心身共にガタがきている私自身の「お取り替え品」はない(笑)。
 午後、震災訓練があった。地震予知があったという想定の訓練だ。だから「地震がくるぞー!」という叫びから始まった。
 屋外に避難した。青空の下に集合したが、やはり寒い。
 夕方、役員の現場見学があり、その案内をした。
 帰宅し、投稿論文に対する先生の助言メールが届いたので、それを考慮して修正しつつ、全体の完成を目指した。
 最後は、データをフロッピーに入れ、論文を3部印刷し、郵送の準備をしたが、重量を測定してみると、郵便切手は390円必要だった。それから入浴して寝たので、ベッドに潜り込んだのは、午前4時だった。

11月19日(木)「蟻一匹のあがき・・・の風さん」
 今夜は名古屋で飲む機会があるので、電車で本社へ向かうことにした。
 最初にコンビニで郵便物を3通投函した。今日も青空だが冷え込んでいる。外を歩いていて、何となく元朝参りを連想した。駆け足で人生を歩んでいるため、あっという間に年が明けてしまう。来年こそ、もう少しペースを落としたい。
 カバンに本を1冊入れてきたが、取り出して読む元気がなかった。私も普通の人間である。
 昼食後、上司の専務に(社会人研究の件で)ちょっと報告することがあり、いつものように冷やかされた。私の悪戦苦闘など、専務から見れば、巨人のつけた足跡のへこみから抜け出そうとしている蟻一匹のあがき程度なのだろう。
 今夜は終電に乗り遅れることなく帰宅できた。えらい!
 事務局へ送った投稿論文に対し、また大野先生から指導がかかったので、ねじり鉢巻で再々修正を加え、今度は事務局へメールで送った。「まことに申し訳ございません。印刷して差し替えてください」という内容だ。やれやれ。
 
11月20日(金)「今日はシルバーの四十九日・・・の風さん」
 7時45分から製作所の入口で交通安全立哨をやるというので、6時に起きた。どうも早朝は苦手である。
 幸い快晴で、風もあまり強くなかったので、一緒に立った先輩にドイツの交通事情を語りながら、あっという間に終った。
 席に戻ると、1月に学会誌に投稿した論文の、2度目の査読結果が郵送で届いていた。期待しながら開封してみると、二人のレフェリーのうち一人は「採択」となっていたが、もう一人が「修正要」ということで、しかし懇切丁寧な指摘がされていた。
 今日からは日、月と続く講演の準備に専念と思っていただけに、またまた焦りが身内にみなぎってきた。
 昨夜の学内誌向け投稿論文の再々修正版について、同僚と議論していたら、新たな疑問点が出てきたので、学会誌向け投稿論文の……この辺ややこしくてすみません……査読結果と合わせて大野先生へメールした。
 意外と早くその返事が届いた。
 学会誌向け投稿論文の修正は急がなくてよい、ということで、それは少し安心したが、学内誌向け投稿論文の再々修正版については、間違いがあることが判明し、早急に処置しなければならなくなった。
 それで、急いで論文の訂正に着手し、大学の事務局へ再々々修正版を送り、「差し替えてください」と平身低頭の依頼をした。
 これで昨日の朝投函した郵便が届いていなかったら大笑いだ。
 午後、ドライブ計画書の作成をした。会社のルールで、休日と言えど、長距離ドライブをするときは、詳細なドライブ計画書を提出しなければならない。
 今回は1泊2日で最終的に前橋市まで行って帰ってくるのだが、帰りの走行距離が400kmを超えていることが判明した。すべて高速道路ではあるが、ハンパな距離ではない。ドライブ計画書を作成すると、ドライブの問題点が浮き彫りになるので、効果がある。
 帰りにミッシェルにセルフ給油し、洗車もした。
 今日は死んだシルバーの四十九日ということで、長女が帰宅してきた。
 シルバーが好きだったチーズやヨーグルトを供え、僕らはボジョレヌーヴォーでシルバーの冥福をあらためて祈った。
 
11月21日(土)「講演準備はたった1日・・・の風さん」
 天気は下り坂らしいが、今日は青空が広がっている。
 朝食後、お土産を買いに近くのえびせんべい屋へ。
 大量に買って来た(^_^;)。
 力まずに明日と明後日のスライド作成に着手。準備できるのは今日しかないのだから、無理はやめよう(と自分に言い聞かせる)。そうは言っても、良いアイデアがひらめくまでは、いつも全力投球になってしまう。頑張らなければ、神様は降りてきてくれないのだ。そう、アイデアの神様はね。
 昼食後、30分ほど体を休めた。いつになったら体力トレーニングが復活するのか。
 今度の講演は『ラランデの星』に関するものだ。父と息子の関係について語る予定。それはいいとして、ちょっと誤算だったのが、たくさんあると思った『ラランデの星』のストックが底をついていたことだ。せめて1週間前に気付いていれば、出版社に注文できたのだが……。多忙でそれすらできなかった。事前予約も入っていたのに、非常に残念である。
 夕方までに、講演についての作戦を決めた。群馬県和算研究会会長から「父と子」をテーマに話してほしいと要請されていたので、やはり自身のことを語る内容にした。つまり、3年前の東大駒場キャンパスでの講演内容の再現である。
 夕食後は印刷に専念した。拙著購入者へのおまけと、レジュメ代わりに配布する資料である。
 それらがけっこう大変で、就寝は午前1時頃になってしまった。

11月22日(日)「お礼のつもりがまた迷惑をかけてしまった・・・の風さん」
 予定より1時間遅れの9時に自宅を出発した。かなり余裕を見たドライブ計画だったので、深刻な渋滞にはまらない限り、問題ないはずだ。
 知多半島道路から名古屋高速に入り、環状線を経由して小牧方面に向かう前に、間違って一宮方面にそれてしまった。何度も走っている道でも間違うのだから、人生、何が起こるか一寸先は闇である(ちょっと大袈裟か)。とりあえず高速を降り、豊山北から再び名古屋高速に戻った。別料金なので、金銭的な損はない。
 8月に軽井沢夏期大学で走ったときは、名神から渋滞だったが、今日は順調に走れた。
 中央道に入ると、紅葉の進んだ山並みに囲まれて走るようになった。1ヶ月前のドイツを思い出すが、ドイツの方が走りやすく感じるのは、あらゆる面で差があるせいかもしれない。
 最初の休憩ポイント恵那峡SAに入ろうとしたら、エリア内が大混雑だったので、パーキングを素通りした。次の神坂PAに入った。ここは初めてかもしれない。馬籠、妻籠が近いせいか、情緒のある雰囲気作りがしてあり、コーヒータイムは気分が良かった。でも、けっこう旅行客が多い。
 その後も、ゆっくりと休憩をとりながら走った。交通量は多かったが、余裕だった。
 佐久インターで降りた。休日割引の1000円だった。貧乏作家としては、地球環境保全の考え方に反するが、今回はこのメリットをありがたく利用させてもらっている。
 今夜のミニ講演と宿泊所である宿に1時間半前に到着した。これこそまさに予定通りである。
 ちょうど軽井沢町教育委員会の方も到着したところで、一緒に会場の準備をすることができた。
 ミニ講演開始時刻の午後5時半には参加予定者も到着した。ただし、今回のミニ講演を最も聞いてほしかった教育長が、お孫さんの新型インフル罹患のため欠席されたのは残念だったが仕方がない。
 「今回は3連休のど真ん中という貴重な時間帯に、わざわざ来ていただいて申し訳ありません」という謝罪から始め、「8月の夏期大学では本当にすばらしい経験をさせていただいてありがとうございました」と感謝の言葉でつなぎ、「8月にお話できなかった方にぜひ講演を聴いてもらいたくてセットさせていただきました」と挨拶した。
 明日の講演の練習も兼ねて、短縮バージョンの講演をし、何人かの方はご存知の、ドイツの旅の写真をご覧いただいた。近年、女性の社会進出はもちろん、文化事業的なことにも女性は積極参加している。それに反して男性は、従来通りの狭い世界であくせく働いているか、ややもすると地域や文化から隔絶し、精神的にも脆弱化していることがある。気になったので、ドイツの写真を披露する前に、「ところで、ドイツへ行ったことある人?」と質問してみたら、参加者の女性の方たちが小さく手を上げた。現代の縮図は、こんな小さな小さなミニ講演会でも実感できるから怖ろしい。
 続いて懇親会となったが、不思議なくらいくつろいだ雰囲気の中で進行した。途中で宿の主人(女性)も顔を出してくれたし、終わり頃にはデジカメでたくさん写真も撮った。そうして私は、主に小説の話をさせてもらい、酒に弱いくせに、つがれるまま、つい度を過ごしていった。
 随分と長い懇親会になってしまい、申し訳なく思ったので、私からお開きを宣言させていただき、持参したささやかなお土産を渡して解散となった。
 が、私は既に足元も危ないくらい酔っていて、部屋へ入るなり布団の上にぶっ倒れた。
 
11月23日(月)「ドジ多けれど元気・・・の風さん」
 今日は前橋で講演をするために有休をとっている。自由な身なので、絶好調〜!と言いたいところだったが、昨夜の深酒が祟って、早朝から目が覚めた。きわめて気分悪く、絶不調。
 幸い部屋の暖房がバッチリ効いていて風邪を引く心配だけはなかった。
 突然、デジカメがないことに気付き、部屋から出て、昨夜の宴会場をチェックしたら、名刺入れと一緒にテーブルの上にあった! と言うことはつまり、宴会場は昨夜のままだった! とりあえずホッとして部屋へ戻ったが、不快。
 再び部屋から出てトイレに行き、戻ってきたら部屋にもトイレがあった(笑)。絶不調。
 ついでに部屋に風呂もあることが分かったが、再び部屋を出て大浴場を調べに行ったら、誰も利用した気配がなく、大きな浴槽のお湯はぬるま湯になっていた。諦めてまた部屋へ。結局、部屋の浴室でシャワーだけ浴びた。
 あとは今日の講演スライドの復習をして時間をつぶした。
 朝食を摂りに食堂に行くと、百人は同時に食事できそうな部屋に2人分が用意してあった。
 「宿泊客は二人だけですか?」
 お茶を持ってきてくれた女性に尋ねると、「はい」という返事。
 「霧がかかっていますが、本当は浅間山がきれいに見えるんですよ」
 これで一気に気分が良くなった。そう。ここは別荘地なのだ。その絶景をほとんど独り占めしているのだから(今朝は見えないけど、昨日は砂糖のような雪が降り積もった浅間山がくっきりと見えた)。
 温かいご飯で体も温まった頃、宿のご主人(女性)が、そろそろと何か運んできた。ニコニコしている。
 見ると、色紙とマジック。一番苦手なやつだ。
 食べ終わるまであれこれと考え、最後に「えいやっ!」と揮毫した。
 <ふらり来て 霧晴れぬ間に立つ 風来坊 鳴海風>
 と。 注)後で気付いたが、ふぅらり来て、の方がシャレになっていたな。それと、霧という漢字を間違えた(笑)。
 そのときは気付かないまま、ご主人に名刺と『円周率を計算した男』をプレゼントして、本当に霧が残っている間に宿を出発した。
 関越道は紅葉がきれいだった。
 予定より1時間半早く会場に着いた。
 群馬県和算研究会40周年記念式典にも間に合って、出席できて良かった。
 昼食後が記念講演会で、持参した拙著を広げたら、講演前なのにどんどん売れた。『ラランデの星』のストックがもっとあれば……と思ったが、後の祭り。現地での追加注文を期待したが、ある物で間に合わせたのか、ほとんどなかった(笑)。
 大竹茂雄先生の重厚な講演に続いて、私の番になった。例によって、聴衆を強引に引っ張るビジュアル講演だ。今回のテーマは「父と子の葛藤」なので、2006年8月に東大駒場キャンパスでやらせてもらった講演を再演させてもらった。つまり、小説の中身や史実だけでなく、自身のことも語ったのである。
 拙著を販売しただけでなく、群馬県和算研究会でまとめた『群馬県の算額解法』を購入した。関孝和以来の伝統ある群馬県内にある算額をすべて網羅すると同時に、その解法も明らかにしてあるという力作である。文化遺産だ。
 会場の後片付けと掃除もほんの少し手伝って、午後4時過ぎに前橋を後にすることになった。
 ナビをセットすると、自宅まで440kmと出た。
 夕闇迫る市内を走って、前橋ICから高速道に乗った。
 早朝から起きていた割に元気で、快調なドライブだった。
 途中2回SAに寄って、休憩や食事を摂り、帰宅したのは午後10時過ぎだった。約6時間かかったことになる。
 まだまだ元気で、これからの作家活動の自信になった。
 
11月24日(火)「WEB国会図書館・・・の風さん」
 またまた大きなヤマ場を乗り切った感がある。充実感に浸れる至福の日々は何日続くだろうか。
 こういう時こそたまった雑用をやっつけなければ。
 手帳では済まないので使っているデスクダイアリーに to do list をわんさと書き込み消し込んでいく。
 会社では二日間で900kmのドライブの楽しさを語って過ごした(んなわけないだろう)。
 帰りにミッシェルに給油し(結局この週末は13km/Lの燃費)、薬局で大量に薬を買った。薬局のご主人は『円周率を計算した男』を買ってくれたそうだ。
 夜、連載原稿で使用したい画像の使用許可をWEB国会図書館に申請した。

11月25日(水)「東北大学附属図書館・・・の風さん」
 ドイツからあっという間に1ヶ月が経過したが、ミュンヘンで出会ったマイルスから会社にメールが届いた。忙しくて、彼にメールも送れないでいたが、先にメールを送られてしまった。とりあえず簡単に返信しておいたが、写真を送ってあげねば。
 今夜も昨日の続き。
 WEB国会図書館から早くも使用許可が届いた。
 その勢いで、東北大学附属図書館へ、和算ポータルの画像使用許可申請の打診メールを送った。
 また、東北大学生新聞協会へ、来月出版される新人物文庫『怒濤逆巻くも』の書評掲載の打診メールを送った。
 それ以外にもわんさとメールを送った。活動すればするほど知人が増える。もうパンク状態である。

11月26日(木)「遠藤寛子さんの新刊『算木の家』が届いたの巻」
 夕方本社へ出張し、帰りに郵便局で振り込みをし、大型電気店に寄って買い物をし、ガソリンスタンドで灯油を買って帰った。実に生活感のある行動でしょ? これが小説には重要なのだ。
 偉そうに帰宅したが、我が家は真っ暗。冷え切った家、ペコ1匹だけである。ワイフは名古屋能楽堂で開催されている韓国舞踊を見に行っている。
 ダイニングに入ったら、遠藤寛子さんの新刊が届いていた。『算木の家』である。なんと佐藤健一日本数学史学会会長のおっしゃるとおり、数学書の研成社からの出版だ。私宛のメッセージが入っていてうれしかった。ご自身で送付の手配をされたようだ。
 カレーを自分で温めて10分で夕食を終えた。
 東北大学附属図書館から申請書類を送ってくださいという返信があったので、郵送の準備をした。
 次女とワイフをそれぞれ駅まで迎えに行き、あたふたとしているうちに今夜も閉店の時間となった。

11月27日(金)「今度はりんご・・・の風さん」
 出勤途中で東北大学附属図書館への画像使用許可申請を投函した。
 軽井沢で8月にお世話になった方からりんごが送られてきた。日曜日のミニ講演会に出席できなかったお詫びの気持ちが入っていたとしたら、やはりミニ講演会は、お礼のつもりがやはり迷惑をまたかけてしまっただけなのかもしれない。人生は難しい。でも、長野のりんごは美味しい。
 とは言え、早速お礼の葉書を作成した。『算木の家』を送ってくださった遠藤寛子さんへも。
 明日は胃カメラを飲むので、今夜は22時以降何も食べられなくなってしまった。なので、もう寝るしかなかった(笑)。

11月28日(土)「胃カメラ、ゼミ、サイトライセンス・・・の風さん」
 胃カメラを飲むとき鎮静剤を使用するので、ミッシェルで行くわけにはいかなかった。
 6時過ぎに起床し、7時28分発の電車で出発した。電車とバスを乗り継いで病院へ着いた。
 もう何年前になるのか忘れたが、かつて胃カメラを飲んだ病院である。だから診察券もある。
 医師の診察を受けた。明るく活発な医者で私の胃のことなど全く心配している様子はない。「レントゲン検査の結果は、それほど心配でもないけど、ま、久しぶりだから、胃カメラやってみましょう」てな感じ。
 診察が終わって部屋を出るとき、
 「じゃ、頑張ってください」
 と言われた。え? 鎮静剤打ってもらっても頑張る必要あるの?
 実際、今日の胃カメラはつらかった。途中で意識が戻った。もどしそうなくらい苦しかったからで、唸ったのをしっかり覚えている。
 終わってからベッドでしばらく安静にしていたが、前回は爆睡していたのに、今回は、隣近所のいびきがうるさくて落ち着いて寝ていられなかった。
 バスと電車と地下鉄を乗り継いで、午後から大野先生とゼミをやった。
 「日本経営工学会論文誌」向け論文の修正方法の相談と、「経営情報科学」向け論文の修正確認である。
 ゼミは短時間で終わったので、持って来たアプリルを使って、本山キャンパスの無線LAN接続を試みた。
 八草キャンパスではうまくいかなかったが、ここではうまくつながった。
 懸案のCiNiiのサイトライセンスIDを取得することができた。

11月29日(日)「連載原稿執筆の実態・・・の風さん」
 朝から連載原稿に取り組んだ。結局、資料をしっかり読む時間がとれなかったので、考えながらの執筆になってしまった。
 明日の夜送信するためには、今日、何が何でも最後まで書いておかなければならない。
 頭がボーッとした中でようやく筆を置いたが(実際はパソコンの電源を落としたが)、就寝は午前3時になってしまった。
 わずか6枚の下書き原稿を作成するのに10時間以上もかかったことになる。
 ガックリ、である。

11月30日(月)「連載原稿送付完・・・の風さん」
 寝不足でどうしようなかったが、いちおう元気なフリして出社。ラジオ体操もやった。
 昼休みに「経営情報科学」向け論文の修正を完了した。これは提出先の先生から早々と修正指示が来ていたので、その手直しをしたのである。大学の事務へ頼んで、初校ができる前に業者へデータの差し替えをお願いしよう。
 定時後、退社する前にメールチェックしたら、大学の事務からビックリ情報が届いていた。
 今年は学位論文の正式提出前に草稿を出して、事前審査をやることになったのだという!
 しかもその締め切りは今週末だという。ええーっ!? まだ1ページも書いてないのに。そして、その前にやることが多すぎるぅ。
 焦っても仕方ない。一つずつ、一つずつやるしかない。
 帰宅して、連載原稿の仕上げに取り掛かった。
 何とか終了して、午前1時前にベッドに倒れ込んだ。
 (11月も終わった〜!)

09年12月はここ

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